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「幸せな日常」というのは、なんと儚いものであることか

みなさん、ごきげんよう。FP黒田です。

GW後半戦が始まりました。

みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?

一方のわが家はといえば、泊りがけで部活に出かける娘のため、4時半に起きておにぎりを握り、夫も、いつもと同じ時間に、仕事に出かけていきました。

そして、私は山のような仕事を抱え、早朝から、パソコンに向かっているところでございます。

近年、国の施策として、連休を増やす傾向にあるのは分かるんですが、夫も私も、会社員ではないので、あまり関係ないんですよね。

逆に、納期が早まったりして大変になるだけなので、正直、勘弁してほしいです(苦笑)。

ということで、比較的のんびりと家事をしながら、ニュース番組などを観ていると、TOKIOのみなさんが4人で、会見を開いていました。

今回の事件についてコメントしようというのではありません。

ただ、いつもこのような事件、事故、ニュースなどを目にすると、加害者であれ被害者であれ、起きた事象の前後で人生がまったく変わってしまう、ということを痛感します。

ほんのちょっとした気の緩みや気持ちの弱さ、出来心でやってしまったこと等々。

当事者は「こんな大事になるとは思っていなかった」と口を揃えます。本当にその通りでしょう。

事件や事故だけではなく、病気やケガ、災害、リストラ、離婚・離別などもそうです。

私自身、2009年に乳がん告知を受けたとき、5年生存率50%と医師に告げられたとき、これまで見えていた世界がまったく違うものに感じられました。

人生には、予期せぬときに、想定以上のインパクトのあるできごとが降りかかってくるもので、いわゆる艱難辛苦の連続。

しかも、それがマシンガンのように連続集中して襲ってくることすらあります。

そんなときは、神様から、不幸を大盤振る舞いされてるような気分。泣き笑いしかありません。

そして、そんな辛くて、悲しくて、死にたくなるような目に陥ったとき、これまで自分がいかに幸せだったのか、幸福というのは、平々凡々とした日常の中にこそあると痛感します。

逆に言うと、なくしてみてはじめてその価値がわかる。

そして、人の幸せが、なんともろくて、あっけないものであるか。消滅するときはほんの一瞬。

50年近く生きてきて、何度もそんな「落とし穴」にはまると、さすがに用心深くなります。

今は穏やかに過ごせているけれども、人生にはどんなリスクが潜んでいるかわからないことを学習したから。

でも、そんな心配ばかりしていても、仕方ありませんし、人生を楽しめないですよね。

ですから、ちゃんと準備しておくんです。保険や預貯金などはそのリスクに対する備えの手段の一つ。

それでも、何が起きるかわからないし、準備した以上に、ダメージが大きかった場合、どうするか?

私は、何事にも柔軟に対応できる心構えとスキルを身に着けることが大切だと考えています。

心構えとは、「楽観主義」たれ、ということ。

数年前にアドラー心理学が流行りました。そこで「楽天主義」と「楽観主義」の違いについて定義されていますが、共感するところが多々あります。

前者は、困難に直面しても、なんとかなる、大丈夫と思い込むだけで何も行動しない。

後者は、現実から逃げずに、物事に対してすべてポジティブに捉えて、勇気を持って行動する。

この二つは、いわば似て非なる者。そして、問題が起きた場合、多くの人が流れてしまいがちなのが「楽天主義」。

私がいつも目指している、ご相談者やお悩みを抱える方々に対する「自律支援」は、楽観主義のスタンスを前提と考えると、非常にスムーズにいくことが多いのです。

娘にも、「辛い時、苦しい時の行動こそ、その人の本質が露呈し、真価が問われるのだ」と話しています。

さて、私自身、乳がん告知を受けて来年で10年の節目にあたります。

実はこれまで、だいたい10年のスパンで大病をしているので、もうそろそろ何か次の「落とし穴」が待ち受けているのではないかと気になっていまして。

神様って、ホントいじわるですからね。

でも、でも、負けないぞ!!(笑)